もくじ
ブログの方針
- 誰に:年収600万円を超えたミドルエイジのサラリーマンに
- 誰が:年収合計1,500万円を超えるMR.ICEが
- どうする:年収1,000万円エリートサラリーマンへの道を教える
- 1979年生まれ 大分県出身
- 非大卒の低学歴(30歳で通信大学卒業しました)
- 3か国、10年間の海外在住経験(現地採用、海外駐在員の両方経験)
- 給与年収1,100万円以上+不動産投資を中心に手取り450万円以上
- 日本在住 外資系メーカーの経営陣
- 低学歴でも高給サラリーマンになれた仕事術、仕事観
- 不動産投資を中心とする副収入の稼ぎ方
- 英語等のスキルアップ術、海外情報
興味をもっていただきありがとうございます。
私はネットビジネス等で大きく稼ぐようなスタイルはどうも合っていません。どちらかといえば昔ながらの給与アップと不動産投資で堅実にやっていくタイプです。(もちろん羨ましいですが)
時代が大きく変わったとは言え、まだまだ会社勤めのサラリーマンが世の中の大半です。そのゲームの中で勝ち残ったものが人口の4%前後と言われる年収1000万円プレーヤーです。
私は年収600万円前後に到達した人は、年収1000万円を狙えるポテンシャルがあると思っています。到達した私が言うので間違いないです。ただし4%の狭き門ですので、ただ頑張るだけではなくコツや効率が必要です。このブログでは年収アップのノウハウお伝えし、1000万プレイヤーを目指していただく場所です。
Mr.ICEの収入
年収1100万円を少し超えるぐらいのサラリーマンです。
さらに不動産投資を中心に年間手取り400万円以上の収入もあります。
情報の信頼性を確保するため、見せられる範囲で確定申告書を公開します。
所有不動産はご覧の通り。
- 木造アパート2棟(8部屋、10部屋)
- 区分所有2部屋(東京都、神奈川県)
Mr.ICEの学歴
私は大学には行きませんでした(正確には30歳で通信大学を卒業しました)。
通っていた工業高校は学力も低く、職業訓練みたいな高校でした。なのでほぼ全員が工場に就職するので大学と言う選択肢が頭にありませんでした。
友達は就職していきましたが社会に出るという事実が受け入れられませんでした。
そこで親に頼んで簡単に入学できる語学系の専門学校に行きました。選んだ理由は「洋画が好きだから」という単純な理由。
なので「センター試験ってなに?」「偏差値ってなに?」というレベルです。
(今でも良く理解していませんが・・・)
「俺は三流大学に行ったからなぁ」とか聞くと、「いや、まず大学行ってるだけですごいよね!?」と心でツッコミを入れてしまいます。
人生が変わった最初のきっかけ
家族での海外旅行
高校生の時に家族でハワイ旅行に行きました。初めての海外です。九州の田舎者で、東京すら行ったことない家族がノリで行った旅行。
その時の雰囲気の違い、常識の違い、言葉の違い、全てにショックを受けました。
自分の知っている世界は、世界の小さな一部でしかないと少なからず感じました。また家族の誰も英語が喋れないので不便で悔しい思いをしました。
帰国後に親に英語の勉強がしたいと言って近所の小さな塾に通い始めました。
しかし元々高校では工業系の実習が中心で英語の授業はほんの少し。あっても非常にレベルの低い内容でした。そのため今でも覚えていますが塾ではWhat、Who、Which・・・レベルからやり直しました。高校3年生ですよ。
でも何かが変わり始めました。
交換留学
専門学校のプログラムで、一年間アメリカ留学にいきました。
ハワイ旅行の刺激が頭にあったからです。
今度は旅行ではなく生活。
アメリカ人と相部屋だった事もあり常識の違いに悩み本当に大変でした。
ベラベラと言うほどじゃないですが、英語力は格段に上がりました。
そして何より色んな経験を通して「常識の許容範囲が広がりました」。説明しにくいですが何でも許せるというか。
この頃には語学力もある程度ありましたが、外国人に慣れて、精神も図太くなっていました。
海外で揉まれると日本で起こることが小さく見えるんでしょうね。
台湾留学
専門学校を卒業してから名古屋にある日本の企業で働きました。英語を活かして海外調達の仕事でした。
この頃には海外思考が強く、会社で海外転勤の希望を出していました。
しかし異動できるのは10年以上働いたベテランだけ、と言われてこう思いました。
「じゃあ自分で行けばいいじゃん」。ここで動いて本当に良かったと思っています。
大企業だったので、周りには間違っていると言われながら4年間働いた仕事を辞めて海外に行くことにしました。
初めはオーストラリアで日本語教師の資格を取る計画でしたが、その前に台湾に寄り道して中国語を勉強する事にしました。
アメリカ留学時に台湾人の友達が多く、中国語に興味があったからです。一度会社を辞めると自由なのでこんな寄り道もできます。
中国語の上達は早かったです。
なんせ中国語は「文法は英語にそっくりで、文字は漢字」。英語の話せる日本人は、その他の外国人に比べると有利です。
2年間、語学学校に行ってバイトをしたら中国語の日常会話は問題なくできるようになりました。
ただ語学より大きかったのは、西洋だけではなく中華の考え方を知れたこと。
また一つ人間として成長しました。
海外就職(香港)
元々はオーストラリアで、日本語教師の資格を取るために会社を辞めました。
ただ台湾で2年間過ごした後に思いました。
英語と中国語話せるなら、それを活かした方がいい仕事あるんじゃない?
そして英語と中国語が活かせる近場な大都市、香港に狙いを定めました。
そこで香港にある日系と現地系のエージェント、企業の両方との面接をWebで設定。1週間に全ての予定をまとめて香港に渡りました。
結果、日本では知らない人がいない有名な大企業の香港支社に就職できました。
日本で就職すると面接にさえ辿り着かないだろう会社ですが香港では英語の話せる日本人の手が欲しいのもありなんと合格。
年収は400万円ぐらいでしたが、香港は税金がほぼない国なので余裕がありました。
また海外はよくありますが、人がどんどん辞めてすぐベテラン選手になれるのと、高い昇給率であっという間に600万円ぐらいまで行きました。
税金を考えると手取りでは日本の年収700万円以上です。
給与面もさることながら香港は世界の国際都市で様々な人種、文化、言語が混ざり合う土地。
私は完全に国際人になっていました。
日本に帰国。外資系企業の経営陣に
その後日本に帰国。海外での経験、語学力、人間力が認められ外資系メーカーの経営陣として仕事を始め年収1000万円以上をいただく様になりました。
(まとめ)伝えたいこと
お世辞にも褒められた学歴ではありませんが、紆余曲折を経て年収1000万円超えのサラリーマンになれました。自分の経験から何より「行動を起こす。一歩踏み出す」事が大事だと思いました。
40代まっしぐらですが、20代、30代の人にエリートの狭き門をくぐれるノウハウを伝えられたらと思います。
はじめまして。
MR.ICE(ミスターアイス)です。